父とのバトル ラスト
先週の日曜に父から話があるということで、家族で話し合いの機会がありました。
結論からいうと、最悪でした。
会計士の資格を取得してからピースボートで世界一周すべきだという向こうの言い分と先に世界一周したい僕の意見は一致することなく、相変わらずの平行線でした。
向こうの意見に対して反論すると、嫌味で返してきて、しまいには今まで会計士の取得のために勉強してきたことを否定し、それにつぎ込んできた金を返せと脅してきました。
その後も人格否定が続いたので、話し合いにならないと思い、席を離れようとすると、無理やり力づくで席に戻されました。
結局、自分の言いなりにならないと侮辱し、それでもだめなら暴力でねじ伏せようとする父には怒りを通り越して呆れました。さらに悲しいのは、その僕の呆れも父は気づかず、ただ黙って聞いているようにしか見えてないということ。
勉強をしているときは、お小遣いをもらっていたので、今回はちゃんと自分が稼いだお金でやろうとアルバイトの頑張りを口にすると、お前は馬鹿かとなじられ、そんなことで地球一周する覚悟にはならないし、説得にならないと全否定。
こんなのは話し合いにならないし、この後何をされるかわからない強烈な恐怖を抱きました。
しばらく距離をおこうと決めました。
このままでは自分が参ってしまう。
3か月以上向き合ってきたことで、父の本性が分かり、(最悪の結末でしたが)逆にすっきりした部分もあります。
これまで頑張ってきた自分を支えてくれる人に感謝です。この人たちがいなければ今頃どうなっていたのかわかりません。この人たちのためにも、なによりも自分のために少し勇気を出して環境をかえて新しい場所でまた頑張ろうと思います!
久しぶりの!!
久しぶりです。
名前も変え、心機一転しました。
少し自分と向き合う余裕もできたので、ブログを再開しようと思いました。
この半年、いろいろありました。今までの人生では考えられないほどのたくさんの人と出会い、別れ、泣き、笑い…
前のブログでも言いましたが、この半年間はピースボートで活動してました。といっても、ボランティアスタッフとしてですが。
今まで敷かれたレールの上をただ歩いていただけだった人生が大きく変わり、自分のこれから歩む道をこれまで以上に真剣に悩み、自分で道を切り開いていかなければならないと痛感してます。
父親との関係も、会計士の目標も、地球一周の夢も、これからどうやって叶えていくのかかなり悩んだ時期もありました。
でも、決めたからにはその決断を誰よりも信じ、覚悟をもって進むだけです。
このブログでは、普段思っていてもなかなか口に出せないことを記していきます。
まずは月1回のペースで。
ものすごくプライベートな空間をイメージしてます。
よろしくです。
想い
こんにちは。かくちゃんです。
最近、とても悩んでます。
バイトのこと、仕事のこと、これからの自分のキャリア、…
でも、奨学金の返済や他にやりたいこと、買いたいものがあってお金に縛られている自分。現実と理想の狭間にいるような。考え事をしていたらおかげで睡眠不足です。笑
一人で悩んでてもしょうがないと思っていた矢先、ピースボートの説明会があり、昨日参加してきました。
そこで話した方の言葉がとても印象的でした。
その方は、医療系の仕事をしていて、たまたま25歳の時に福岡から東京に転勤になり、その時に6か月間の休職期間があったそうです。そこでその6か月を埋めるためにピースボートでボランティアスタッフとして働き、3か月の世界一周に出ました。
彼は、もともと人との出会いが好きで自分と出会った人が笑顔になってもらいたいという想い(目的)があり、その手段として、医療の仕事に就いたそうです。
世界一周から帰ってきた後にそれに気づき、その目的があるんだったら、ピースボートで働いた方がたくさんの人と出会えるんじゃないかということで、現在はピースボートで働いています。
この話から分かったのが、目的があるなら、どんな手段(仕事)を選ぶかはこだわらなくていいんじゃないかということ。
ちなみに、この話を聞いて僕は、会計士を目指していたことや、このブログを書いていること、いろりで家族とのことで悩んでいる子の相談にのっていること、ツイッターで相談にのっていることは、すべて、「困っている人のサポートをしたい」という想いからきているのではないかと感じてます。
皆さんは、どんな想い・目的で仕事をしていますか?どんな想いをもって生活していますか?
自分に価値をつけるには
最近、このことをよく考えます。とりあえず今は、自分が活かせる武器として、簿記があるので、会計事務所でバイトをしながら緩やかに社会に出ていこうと考えてます。
ただ、簿記ができる人は世の中にたくさんいるわけで、それだけでは俺自身に仕事が回ってこない日がいつかくる。俺に払うお金よりも、AIを作るコストが安ければ、AIに仕事がいくわけで。
結局、自分自身の価値を増やすことで、この仕事なら君に任せようということになるのだと思います。
例えば、自分の活動を簿記の貸借対照表(B/S)で考えると面白い。
借方の資産には、現金、預金、ブログ、プログラミング、簿記の知識、困っている人の相談にのること。
貸方の負債には、奨学金の返済(借金)…
資産には有形のものもあれば、知識などの無形資産もある。
このB/Sの項目が大きければ大きいほど、たくさんの価値をかけあわせて活動していて、希少価値の高いレアな人材ともいえる。
20代のうちに資産を増やし(自己投資)、自分の価値を高めることで、社会で必要な人材になれるのだろう。
俺自身はもっと没頭できるものを探している途中ですかね。ドローンとかは近々でやってみたいことの一つです。
ホントに没頭できるものといえば、なぁちゃんのフォトブックや映画を見てるときですね。笑 これは仕事にできるのだろうか。でも大切な趣味の1つです。
皆さんは、没頭できるものありますか?
いろりという居場所
俺は、1カ月ほど、茨城のシェアハウス、いろり亭ー空ーに住んでいました。生き辛さや困っている人にこういう場所もあるんだということを元住人の目線から書こうと思います。
いろり http://twitter.com/irori_warmspace
周辺情報
茨城県つくば市。ビルの4Fにあります。1Fが韓国料理屋、2Fが和食屋、4Fが居住スペースになってます。エレベータ付きなので安心。
最寄駅はJR常磐線の牛久駅。東京駅からは1時間で行けます。駅からバスで10分、自転車で30分。実際に住むとなると、車を持っていない場合は、バスか自転車で移動。自転車で行けるところで言えば、セブンイレブン、フードストッカー(激安スーパー)、マスダ、100円ショップ、業務スーパー、イオンモールつくば、ぐるぐる大帝国(俺が牛久で一番好きな場所)ですね。
茨城と聞いて、田んぼをイメージした方もいると思いますが、というか俺がそうだったんですが、上記の通り、生活に不便はありません。
夜は満点の星空がベランダから見えます。俺もベランダでよく独りで考え事をしていました。3人くらいでいすを囲みながら深い話もしました。俺がいろりで1番好きな場所です。
住人について少し
住人の方の中にも、数年前から親とは一切連絡を取っていないが、現在は自立している人もいた。俺から見ると羨ましく、尊敬もしていたので、自分の悩みの相談にのってもらっていた。しかし、答えは意外なものだった。それは、君には自分と同じ道を歩んでほしくないというものだった。おそらく、当然のことだが家族と仲が悪いよりも良いに決まってるから、自分はこういう現状だが、君には同じ思いをしてほしくないということだと思う。
一方で、親が放任主義でいちいち子どもの行動について言ってくるわけではないが、目標のようなもの、やりたいことが見つからず、ものすごく悩んでいる人もいる。俺から見ると、親の介入がない時点でかなり羨ましいのだが。
さらに、今現在も俺と同じように、自立したいが親がそれを認めてくれず、辛い思いをしている人もいる。
これだけでなく、住人はみんな何かしらの悩みを抱え、それと日々闘って、時には悩みを共有し、励ましあっている。
俺がもらったもの
それは、一言でいうと、愛です。
大きなエピソードでいえば、2つあります。
1つ目は、ぷーさんが経営しているバーで、ぷーさんの友達とリバ邸杉並の元管理人のまるまさんに俺の父とのトラブルを相談したこと。
まるまさん http://twitter.com/Sassi43473905
その友達は、自身の話を引き合いにしてくれた。大学を中退する時に親とぶつかり、今後どうするんだと問われ、半ば喧嘩状態になっていた。しかし、親と距離を置くことで、時間が解決してくれたらしい。
まるまさんは、俺の家出を肯定してくれ、逃げることもありだと言ってくれた。話し方や雰囲気から、やさしさが感じられる人で、この人なら何でも相談したいを思える人だ。ちなみに、この相談の後、俺の大好きなRPGを全力で歌ってくれた。今でもめっちゃいい思い出です。
2つ目は、悟空さん(ぷーさんの親友)がいろりに遊びにきてくれた時のこと。
この人は、言葉遣いが荒い。俺が自分の現状を相談した時に最初に発した言葉が、「お前はゴミだな!」だった。俺は何を言われてもいいと思って相談していたので、特に怒りのようなものはなかった。むしろ、ストレートに、熱く話してくれるので、それが俺のエネルギーとなり、父と向き合えるようになった。
あとは、ぷーさんが「俺が何もなくなってもあいつがいれば助けてくれる」と言い切っていたのが印象的だった。そういう関係がもてる人に出会えるって素敵だなと思ったのを今でも覚えている。
俺は、皆と悩みを共有し、応援され、味方になってくれたことで、愛を感じました。
人生のどん底だった時期から、たくさんの人から愛をもらい、また新たな道を歩んでいます。
いろりに行きたくなった人、内覧したい人はぷーさんにメールや電話などで事前に連絡お願いします。
俺も、最初はメールで事情を説明し、実際に会って、いろりに住み始めました。
ちなみに、8/11~8/14にいろりでオープニングパーティーやるそうです。
いろりに少しでも興味をもたれた方は参加してみて下さい。
https://www.facebook.com/events/184762045575727/?ti=ia
今日も長くなっちゃいましたね。笑
初めて3日なのに、このブログにアクセスしてくれる方、読者になってくれる方がいることに驚いています。めっちゃ嬉しいです。
今日も読んでいただき、ありがとうございます!
父とのバトル2
続きです。
その後もいろりに住まわせてもらっていた。
前回の話し合いから2週間後、父から電話があった。内容は、実家に戻ってこいということだった。俺は、このまま実家に帰っても、親の言いなりになるだけだし、向こうとは話し合いにはならないと確信していたので、戻らないと伝えた。
それから1週間が経ち、また同じ内容の電話があった。俺は、これが実家に帰る最後のチャンスだと思い、1カ月だけという条件で戻ることを伝えた。しかし、向こうは1カ月という期間が気に食わなかったらしく、話の途中で俺が、「そっちの考えが聞くために戻る」と言った瞬間に、父が「そっちって何だ」とキレたので、話し合いにならなかったので、電話を切った。
今まで、父の言うことに反抗したことが無かったので、父は価値観が違うことを認められず、自分の主張が受け入れてもらえないと怒鳴り散らす人間だと知らなかったから、かなり失望した。
3日後、また父から着信があった。が、俺はもう父に対しての失望と呆れで話をしたくなかったので、無視していた。気付いたら、2日にかけて、10回以上の着信があった。もう、これ以上無視し続けるのもストレスだったので、次の日にかけ直した。
結局、3時間話していた。まとめると、一生のお願いだから帰ってきてほしいということと、父のことは嫌いでいいから、母や妹が心配しているということを分かってほしいということを涙ながらに話された。1カ月のうちにもう話にならないと俺が判断したら、その時は自由にさせてもらうという条件も受け入れてもらえたので、最終的に実家に帰ることにした。
これまでの父との話し合いには、ほぼ俺の隣にぷーさんがついていてくれて、俺が怒鳴り散らされていた時も横で聞いてくれていて、とても心強かった。また、父とバトった時には夜遅くに気分転換で、霞ヶ浦や牛久のぐるぐる大帝国に連れて行ってくれた笑。(ちなみに、ぐるぐる大帝国で買ったなあちゃんのフォトブックを見て、今ではなあちゃんのファンだ。)常に俺の味方をしてくれていて、アドバイスもたくさんもらったし、支えてくれる人が近くにいることのありがたさを感じることができた。
また、父がうちの家族とは関係のないぷーさんにメールや電話をしていて、ぷーさんは他人の家族(少なくとも、俺は相談もたくさんのってもらったし、信頼していた)のことなのに、父のメールに対し一つ一つ長文で答えてもらっていた。それも含め、心の底から感謝している。
父とのバトルだけを切り取るとこんな感じですが、ぷーさんはもちろん、たくさんの人にアドバイスをもらったり、応援してもらったり、時にはお前はゴミだと叱咤激励されたりしました。それは追々書こうと思います。
誰かに自分の主張を伝え、説得させることは辛く、怖く、ものすごいエネルギーがいると思います。しかし、自分の人生のためなんだと思えれば、怖くて震えても、顔がぐしゃぐしゃになっても闘うことで相手の考えも変わっていきます。
親との関係で悩んでいる方の少しでも参考になれば嬉しいです。
長文読んでいただき、ありがとうございます!
父とのバトル1
今日は、この1か月の間に起きた父との話し合いを書こうと思います。
前回の会計士の試験が終わった直後に自分の感覚で、不合格だろうという確信めいたものがあった。結果は案の定、不合格。試験直後のあの感覚があったので、結果を見た後、父親に会計士を辞めたいということを伝えた。
その時は、体の不調(腹痛・下痢など)が1年前から続いていたこと、それによって会計士試験のためにこれからも勉強を続ける意味を失ったことでモチベーションが下がっていること、精神的にも身体的にも限界だということを4時間以上かけ、涙ながらに伝えた。それに対し、父は怒って、勝手にしろと話し合いを投げ出したり、体の不調のために内科や精神科に行ったことを叱ったり、会計士を目指さないなら明日から生きている意味がないなどの人格否定をしてきた。
この話し合いの2日後、辛い自分を守るため、家出を決行。
実は、もともと会計士を辞めるということを受け入れてもらえないということは分かっていたので、家出の準備を進めていた。以前から茨城のリバ邸でシェアハウスの管理人をしていたぷーさんに相談していたので、次のシェアハウスに入居させてもらうことになった。
家出した日に電話がかかってきた。父親としては、黙って家出をしたことに対し、怒りと悲しみがあったが、何よりもなぜ子供が家出したのか理解できていないようだった。
自分も伝えきれていない部分があると思ったので、その1週間後、実家に話し合いのために戻った。
この時は、6時間以上話した。というより、実際は父が一方的にしゃべっていた。この日、自分が伝えたのは大きく2つ。1つは会計士を辞めようと思った理由。身体の調子がひどくなり、それに伴って気持ちが向かなくなったこと。2つめは、家出した理由。これに対し、父は怒りながら話すので、こっちが反論すると、話にならないと言ったり、いじけるなと言い、バカか、小学生かなどと罵倒され、もう話にならないと言って、その日の話し合いは終了した。
この話し合いで父親が完全に嫌いになり、顔も見たくないし、2度と関わりたくないと思うようになる。
ちょっと長くなってしまったので、続きは次に回します。
ちなみに、ぷーさんやいろりに興味のある方へ。ツイッターのユーザー名貼っておきます。
ぷーさん(http://twitter.com/43088)、いろり http://twitter.com/irori_warmspace